Berita dan Cerita (°_°)

インドネシア語の勉強として色々な記事などを訳しています☆彡 お気づきの点をご指摘いただけるとうれしいです❤︎

カテゴリ: 過去記事2018年

(原文 https://otomotif.kompas.com/read/2018/07/26/142200915/jepang-perkenalkan-masjid-berjalan-untuk-olimpiade-2020)

豊田市、 KOMPAS.com-
日本では2020年東京五輪を迎えるためにさまざまな準備が続けられている、その一つが動くモスクだ。
動くモスクはトラックの荷台を改造して作られた。

利用される際、トラックの荷台が広げられるとのことで、内部がより広くなる。
荷台の内装も、モスクの内装のように整えられた。
時代遅れでなく、この動くモスクにも冷房装置(エアコン)と清めの水を使うための蛇口が装備されている。

この動くモスクの収容力は、50人を収容できる。
1台の制作費は1億円(約130億ルピア)といわれている。

動くモスクは、月曜日(2018年7月23日)に愛知県豊田市の豊田スタジアムでJリーグのサッカーの試合が行われた際にはじめて披露された。
来るオリンピックの間、このトラックは必要に応じて様々な五輪会場へ運行されるだろう。

Yasu ProjectのCEOである井上康治氏は、この動くモスクの存在が、ムスリムの旅行者がお祈りをしやすくすることを期待している。
その他、自国に居るように感じてもらうことも期待している。

「開かれた親切な国として、我々は"おもてなし"(日本の親切)の心をムスリムの人々と分け合いたいとのぞんでいます。」水曜日(2018年7月25日)、nytimes.comに書かれたように、井上は述べた。

(原文 2018年1月30日 https://kolom.tempo.co/read/1055552/kebablasan-mengurus-susila)

国民議会と政府が作成した刑法は、憲法の精神に逆らい気味である。
刑法に関する法案の最終草稿は、不義の犯罪と同性の性交渉について載せている。
適用しにくい他、この規則は基本的人権とプライバシーの侵害ないがしろにしている。
宗教と道徳の教えを口実に、国民議会のほとんどすべての政党が、刑法典案484条で規定されている不義の犯罪の拡大に同意している。
要点は、男女間の性交渉は2人がまだ互いに結婚していなければ、罰せられる。
処罰は、5年以下の懲役である。

不義の犯罪の要素は、これまで施行されていた刑法典284条を完全に変更する。
古い規則は、不貞より婚姻の神聖さを保つ目的を持っていた。
この条は、パートナーが不貞を行っている夫または妻からの訴えの存在を条件としている。
訴えが取り下げられた時、訴訟も流すことができる。
刑法典案は別の方向から始まる。
婚姻の結びつきを守るだけではなく、国がより深い役割を持つ:国民の性行動と道徳を管理する。
その規則を支持する政党は、婚外の性交渉は宗教に反し健康に危険を及ぼすという、理由を付けている。
この議論は、道徳と宗教の全ての問題が国に提出されたら片付くだろうと、想定している。

その新しい規則が本当に施行された場合、警察はどんなに大変だろうか。
警察は、もし当事者が訴えた場合、国民の性行動を管理しなければならない。
この規則は、簡単に誤用され、国民が権利をもてあそぶ行動を後押ししうる。
誰でも、他人の不貞を非難しうる。
しかし、このケースの法手続きは、立証することが難しいため、いつも議論を呼ぶ。
不貞の規則の拡張は、明らかに多くのデメリットがある。
その犯罪はまた、政敵の名声を壊すために権力者によって誤用されうる。
その新しい規則は、先住民族や受託者を脅かす。
これまで、そのような集団のメンバーの多くは、国の法を通していないが、夫婦として長く連れ添っているからである。
刑法典案の495条の中に入れられている同性関係の件についての規則も、同様に議論を呼んでいる。
この条は、刑法典292条に規定される痴漢の犯罪を拡張する。
これまで、刑罰は同性の子供に対して大人がわいせつ行為をすることだけに有効であった。
ここでは、大人同士の同性の性交渉を規制する項が差し込まれる。

政治グループは、その条がレズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの集団に対し、直ちに課せられるものではない、と言い逃れをする。
告訴は、暴力を用い、公衆の面前での道徳に反する、またはポルノグラフィーを出版する、わいせつ行為の犯人に対し行われるだけだろう。
そのような規則は、どのようにも解釈できるだろう。
抱き合っている写真をソーシャルメディアにアップロードしたゲイのカップルは、罰せられうるだろうか?
性指向を知らせることなしにわいせつ行為の禁止は他の条で規定されているので、その規則もまたおかしい。
その新しい規則は、明らかに、憲法が概説することにもとづく反差別の概念に反する。
国は、道徳の問題やプライベートな用件を深く管理しすぎるべきではない。
強制されたとしても、そのような規則がより良い社会を創ることは難しく、人間としての尊厳の品位を削減するだけである。


(原文 2018年3月24日kolom.tempo.coより https://kolom.tempo.co/read/1072746/bubar/)

2030年に私たちの国で本当に何が起こるだろう?
この国が終わるのは本当か?
経済が年々良くなるという人がいるにも関わらずである。
「ああ、混乱する。」これは、小学6年生の私の孫の愚痴である。

彼が言いたいことを、私は文章にまとめた。
私は驚かなかった。
彼は、ソーシャルメディアに親しみ、携帯から離れられなくてよく母親に怒られるミレニアム世代である。
しかし、理解力はもちろんまだ子供である。
だから、私の答えは、「お前はつらいことを考えるな、お前は強くないだろう。おじいちゃんが考える。」

Grindra党総裁のPrabowo氏の、たった1分19秒の演説の一片から、インドネシアの解散をその子供に説明するのは難しい。
Prabowo氏は、反外国だそうだが、外国人の研究によると、インドネシアは解散すると述べている。
そして、なんてことだ、その研究とは実は、小説なのだ。

将来何が起こるか、私たち人間は本当は知ることはできないことを、私の孫は、きっと理解していない。
それは神の秘密なのだ。
ましてや2030年、今度の6月に何が起こるかさえも私たちはまだ知ることはできない。
西ジャワ州や東ジャワ州の首長選挙で誰が勝つか、私たちはわからない。
しかし、現れる現象から、予測することができる。
そしてその予測は、実際にはまだ、占いと言われる領域にあるのだ。

ところで、占いは真偽を確実にできない。
しかし占いはしばしば、内省や備えの材料にされる。
明日雨が降るだろうと占われたら、出かける時に傘を用意する。
実際に雨が降らなければ、傘はしまわれる。
1週間後に山がよりひどく噴火するだろうと占われたら、私たちは避難の準備をする。
その山が噴火しないことは、それぞれの願い事において、望むことである。
だから、悪い意味を含む占いは、私たちに備えるための機会を与える。
一方、良い意味を持つ占いは、私たちを傲慢にはしない。
他の言葉では、予測および占いが、私たちを恐れさせてはならない。
もし恐れが出てきたら、私たちは人間として、すでに負けなのである。

より複雑なのは、占いが信仰に関係している場合である。
或いは、簡単な言葉だと、
ある時、やがて将来、何かー例えば悪い出来事が起こるだろう、ということの情報源が
宗教の参考文献の聖典の中に書いてある
信仰の場合である。
YouTubeを見ると、終末の日が来るだろうという徴があるというのが本当に過熱気味である。
その世紀末の兆候は、イスラム教の教師たちにより、聖なるAl-Quranを参照しながら言われ、
アラブおよび他のイスラム多数派の世界各地での状況によって決定される。
その終末の徴がもう現れていたら、人々は恐れて対処するだろうか?
するべきではない。ちょうど最善を尽くすために競争しているときに、
誰がその終末の日が、疑うことなく本当に起こるとわかるだろうか?

しかし、もし信じない人がいたら、どうだろうか?
もし、イスラム教徒ー多分、全ての信徒を代表していないーの信仰によると、もう終末の徴がある場合、非イスラム教徒はどうだろうか?
ヒンズー教はその終末はmahapralayaとして知られ、ヒンズー教の信仰によると終末が来る徴まだはない。
それならば、このたった一つの地球は、どの終末に従うのだろう?
一部が終末で一部が終末でないことは、ないでしょう。

インドネシアが2030年に終わると言われることも、同様である。
インドネシアは、あなたが信じている誰のものか?
インドネシアは、Prabowoまたはジョコウィのものか?
2人は異なる「占い」を持っていう。
インドネシアは実際は1つなので、楽観的なジョコウィを信じ、慎重なPrabowoも信じよう、
この美しい国が終わらないように。

(2018年3月1日TEMPO https://kolom.tempo.co/read/1056555/tak-semestinya-presiden-mengeluh)

インドネシアが複数の隣国と比較して進歩が劣ることは、大統領が反省すべき事実である。
部下の前で愚痴ったことは、正しくない他、ただ間違いを探しまわっているだけと印象をうける態度である。
大統領は、その他国からの遅れを克服するために、具体的なステップを作り出すべきである。

ジョコウィ大統領は、この前の水曜日、国家宮殿で商業省の運営会議を開いた際、その不平不満をあふれさせた。
タイ、ベトナム、マレーシア政府の輸出率の高さを引き合いに出しながら、ジョコウィはインドネシアがずっと遅れている、と述べた。
ジョコウィ首相によると、変化なく続く数年間のルーティンワークに間違いがあるという。

政府のリーダーとして、ジョコウィは政府の問題の源を知るべきだ。
愚痴を言うだけではなく、ジョコウィは大臣たちに対し雨出の低さの原因と、克服する方法を示すべきである。
ジョコウィは、インドネシアはかつてその3国より進歩していた、とノスタルジーに浸るだけではだめだ。

3年の指導は、政府のウィークポイントと強みを知るためにはジョコウィにとって十分すぎるはずだ。
大統領は、何を整備するか優先順位を決めることができる。
もし優先が必要な開発プログラムがあった場合、国民議会の政治勢力の大部分が支持するためジョコウィは簡単に行うことができる。

開発は、優先方向を失うようなものだ。
複数の場所でのインフラプロジェクトは、渋滞し輸出基盤を強化しえない。
インドネシア経済開発加速拡大マスタープラン(MP3EI)のように、以前の政府が編成した中期プログラムも、放置されたままである。
このマスタープランが複数の地域の工業と輸出の成長を促しうる4つの経済路線を生んだにも関わらずである。

ジョコウィ自身が当てにしていたプログラムもつまづいている、プロフェッショナルの背景を持つ人々よりも政治権力にこたえることに傾いた大臣を起用した間違いからだ。
最近、ジョコウィはGolkar党事務総長のIdrus Marham氏を社会大臣に起用した。
以前、Golkar総裁のAirlangga Hartarto氏が工業大臣に起用された。
彼らは、2018年の地方首長選挙の用事と2019年の総選挙の準備に忙殺されるだろう。
2019年の総選挙の勝利を考えなければならないのと同時に、どうして彼らが開発プログラムを進める仕事に注力できるだろうか?

ジョコウィは、経済成長がまだ素早く進んでいないと認める。
昨年の経済成長は、5.1%だった。
これは、ジョコウィが病人なのに医者の診断はすべてよい状態だと示しているように喩えられる。
つまり、大統領は政府の機能はもちろんまだ楽観的ではないと理解している。

今必要なのはブレイクスルーを探すことだ。
まだ重い足を引きずり歩く投資と貿易の部門について、克服するための戦略を探さなければならない。
特に、許認可と法の確定の手続きの長さが、依然として嘆かれる。
怒りが問題を解決されしないのは明らかである。

(原文 2018年1月10日 https://kolom.tempo.co/read/1048959/mengubur-hantu-komunism)

Banyuwangiの環境活動家のHeri Budiawan氏、通称Budi Pego氏に対する7年の懲役請求は、まことに不公平である。
東ジャワのBanyuwangi郡のSumberangung村の住民で、2017年4月に、共産主義を広めた疑いで逮捕された時、
これは単にTumpang Pitu山でDamai Suksesindo社所有の金鉱に反対するデモを行う権利を使用しただけだ。

この事件を裁いたBanyuwangiの国家裁判所の裁判官側は、Heri氏をすべての起訴から解放すべきだ。
検察が提出した証拠は、Heri氏がデモの際に持っていたという槌と鎌のロゴの横断幕であるが、
懲役の判決を下すのに十分な証拠ではない。
ましてやその横断幕の存在は、法廷で複数の目撃者に否定された。

それだけではない。
Heri氏を起訴するために、国の治安に対する犯罪を規制する、刑法変更についての1999年の第27条107-a項を使用した、検察の行動も行き過ぎである。
採掘を拒絶するデモは、その項で規制されているような、共産主義、マルクス主義、レーニン主義を広める企てではない。

Heri氏tそのグループは、確かにBanyuwangiでの金の採掘に反対することに熱を入れた。
彼はその天然資源の搾取は、そこの住民のための効用に比べより多くの弊害をもたらすと感じた。
その種の態度や抵抗は犯罪ではない。
Heri氏が抗議した金採掘企業は、怒りを感じる必要はない、ましてや住民の抗議を黙らせるためのあらゆる方法を許してはならない。

「抵抗する」とみなされる人々を罰するために反共産主義の条項を使う警察の習慣も、やめられるべきだ。
それは、彼らを弾圧するための、この時代に近道として使われる質がよくない方法だ。
もし警察が特定の側の利益の道具にされたら、美しくない。

この事件を裁く中で、Banyuwangiの国家裁判所の裁判官たちは、通報者すなわちHeri氏が抗議した採掘会社が奏でる太鼓のリズムにあわせて踊ってはけない。
槌と鎌に似ていると主張される絵が描かれた横断幕は、公平で礼を心得た判決を下す根拠にはなりえない。
Heri氏を解放する決定は、この事件を終わらせるための理にかなった解決の一つだ。

その事例はまた、共産主義の幽霊がまだこの国をうろつきまわっていることを私たちに警告する。
司法に携わる者と政治エリートは目を開きインドネシア共産党の脅威がもっぱら幻想であることに気づく時だ。
インドネシア共産党が復興するという恐怖は、数十年前に埋葬されるべきであった政治の商品だ。
イデオロギーとして、全地表での共産主義は、すでに麻痺している。
復興を懸念する理由はない。

インドネシアで共産主義の幽霊がまだ強いことは異常に違いない。
その論理的ではない事実は、この汚名の横行から政治的および経済的な利益を得る人々が存在するからである。
2017年のバンテン州知事選挙において、例えば、共産主義のデマが、Rano Karno-Embay Mulyaのパートナーの有権者拠点に浸蝕し、敵にやぶれた。
以前、2014年の大統領選挙で、ジョコウィドドも同様のデマに攻撃され多くの票を失った。

それ故に、インドネシアにて共産主義の幽霊を埋葬する試みを、左の烙印あるいは共産のラベルをめぐる政治ゲームを終わらせるために、エリートたちとともに全力を傾けて始めるべきだ。
民主主義と表現の自由は、一時の政治や経済の利益のために犠牲にされてはならない。


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