Berita dan Cerita (°_°)

インドネシア語の勉強として色々な記事などを訳しています☆彡 お気づきの点をご指摘いただけるとうれしいです❤︎

(原文 https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/id/news/backstories/1158/)

夏が近づくにつれて、多くの人がエアコンをつけている部屋の換気を保つことに不安を感じるだろう。
多くのエアコンは、空気を循環させるだけで、換気の機能を持っていない。
エアコンが使われているとき、窓は普通、閉められている。

エアコンと自然の換気を合わせる
東京工芸大学准教授であり日本建築学会の会員である、ヤマモトヨシヒデ氏は、気温調整計画および建物の換気の専門家である。
彼は、温度がそれほど高くない初夏にエアコンを使うとき、窓を少し開けることを提言する。
部屋が暑くなりすぎた時だけ、窓を閉めることを推奨する。

室内での扇風機の使用
真夏に熱中症の危険が高いとき、ヤマモト氏は、窓を開けるよりも、台所やふろなどの内部換気システムの使用を勧める。

そのようなシステムは、通常、外の空気を吸うように設計されているので、窓を閉めていても空気の循環を作る。
換気システムについてさらに知るために、専門家やマンションの管理者と話してほしい。

(原文 https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/id/news/backstories/1133/)

北朝鮮に拉致された日本人を帰国させる活動に半生を注いだ男性が、闘いの動機となった人にもう一度会うことができずに、金曜日(2020年6月5日)亡くなった。
横田滋さんは日本に戻ったたくさんの拉致被害者を見たが、娘のめぐみさんは戻ってきていない。

帰国したある拉致被害者が、土曜日(2020年6月6日)に横田さんへの手紙を読んだ。
曽我ひとみさんは北朝鮮で、一時めぐみさんと一緒に暮らしたことがある。

「私は本当に横田さんがめぐみさんをもう一度見ることができるのを望んでいます。」と言う。
「私は、横田さんが希望を実現する前になくなってしまったので、とても悲しいです。
横田さんはいつも私によくしてくれました。
会うといつも、横田さんは私にめぐみさんと一緒に暮らしてくれてありがとうと言い、めぐみさんについて何か覚えていたら教えてください、と言いました。」

横田さんの娘は13歳の時、43年前にいなくなった。
存在の手がかりが少なくおよそ20年が過ぎた後、めぐみさんが北朝鮮に拉致されたことが浮かび上がる知らせがあった。

1970年代の終わりから1980年代の初めに、北朝鮮政権が定期的に日本人を拉致し、北朝鮮のスパイに日本語を教えさせたりその他の活動をさせた、と知らされた。

関心を高める
横田さんは、1997年に拉致被害者家族会を立ち上げ、代表として行動した。
メディアがこの問題にあまり関心がなく、本当にそのらちが起こったのかについていくつかの発言があった時代に、横田さんと妻の早紀江さんは、この会の闘いの支援を探すために日本を回った。

2002年の日本との首脳会談の後、北朝鮮は拉致を行ったと認め、拉致された5人を帰国させた。
しかしながら、平壌政府はめぐみさんは亡くなったと述べた。

北朝鮮はその後、めぐみさんだと主張する骨を日本に引き渡した。
しかしDNA分析は、その骨がめぐみさんではないことを示した。
その件は、めぐみさんはまだ生きているだろうという新たな希望を横田さん家族に与えた。

あまりたたないうちに、めぐみさんは北朝鮮で結婚し娘がいるとの知らせがあった。
横田さんはそれから、2014年にモンゴルにキムウンギョンさんという名前の孫に会いに行ったが、母親のめぐみさんは一緒ではなかった。

愛する娘を取り戻すための横田さんの闘いは、時間に対する孤独な闘いになった。
彼は、病気のため2007年に会の代表を退き、2018年4月から入院した。

家族の反応
他の拉致被害者の家族たちも横田滋さんの死去に対して哀しみを表現している。

数十年間姉のるみ子さんに会っていない増元照明さんは、愛する人々を取り戻すための複数の家族の努力を横田さんの家族が率いた、と述べた。
彼は、そのリーダーシップがなければ、この活動はずっと前に終わっていただろうと述べる。

弟の修一さんを拉致された市川健一さんは、この問題の処理の進捗のなさが長く続いて、横田さんは怒り絶望していただろうが、表すことなくいつも微笑んでいた、と言う。

横田さんの趣味は写真で、めぐみさんが生まれてすぐ写真を撮り始めた。
横田さんは、娘が拉致される6か月前くらいに、中学校に入学したときの1枚の写真を懐かしく思い出す。

その時、めぐみさんは、はしかで入学式に出席しなかったが、制服を着て写真を撮ろうと日曜日に横田さんがめぐみさんを学校に誘った。
その写真は拉致問題のシンボルになった。
数十年後、横田さんはその時のことを懐かしく思い出す。

「めぐみは治ったばかりで、私が写真を撮るためにさくらの木の下に立つよう頼みました。
私はレンズから娘を見て、彼女が見とれさせるような娘に成長したことに気づいて、とても感動しました。」

(原文 https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/id/news/backstories/1110/)

プロレスラーでリアリティテレビ番組のスターだった木村花さんの死は、日本政府がネット中傷に対する措置を取る原因となった。
木村さんは、Netflixのある人気番組に登場した後、激しく受けたネット中傷の結果、自殺に至ったようだ。

22歳の木村さんは、フジテレビが放送しNetflixが配信したリアリティーショーの「テラスハウス」の新シリーズの参加者の1人だった。
この番組は、互いに知らない人々のグループが同じ住居で一緒に住むことをフォローする。
この番組はまた、何人かのテレビや映画スターのキャリアを急上昇させている。

木村さんは、この番組に昨年9月に参加し、ネット中傷のターゲットになった。
その中傷は、3月に放送された、わざとではなくレスリングのコスチュームの1つを縮ませたために他の住人の1人に彼女が叫んだエピソードに続いてますますひどくなった。
そのエピソードが放送された数日後、彼女は憎悪のメッセージの攻撃を受けた。
彼女はその後、5月23日に東京の自宅で亡くなっているのを発見された。

「みんなは私に死んでほしがっている。」木村さんは亡くなった日、ツイッターにアップロードした。
「みんな私に消えてほしがっている。ごめんなさい。私はこのことを乗り越えるほど強くない。」

5月26日、高市早苗総務大臣は、政府は今、ネット中傷の被害者が中傷者の個人情報を要求できる法律を修正する計画だ、と述べた。

現在の法律は、損害賠償のため中傷者を訴えることができるよう犠牲者がインターネットサービス事業者に情報を求めることを許可する。
しかし専門家は、これは長く高額な法プロセスを必要とし、多くの事例で中傷者が特定できない、と述べる。

「その法律はソーシャルメディアが存在する以前、およそ20年前に施行されたものです。」
弁護士でネット中傷の専門家であるシミズヨウヘイ氏は述べる。
「このような事例を避けたいなら、その法律は修正されなければいけません。」

高市氏は、犠牲者が情報を得るのを速くすることを含め、その法律を修正する可能性を議論する専門家会議を形成した、と述べる。
彼女は、できるだけ早く法案を実現したい、と望む。

一方、テラスハウスの将来性は、行き詰まった。
この番組は、コロナウィルスの流行で3月に制作を止め、これまでに用意され今後数週間に放送予定の2つのエピソードも放送されないだろう。

ミズコシエリカさんは木村さんといっしょにその番組に参加し、自身も同様の嫌がらせを受けたという。

「人々は私に死ぬよう勧めます。」ミズコシさんはインスタグラムの投稿に書いている。
「そして彼らは、テレビに出ているからその嫌がらせが続くのだと言います。
しかし、テレビに出ている人も感情を持っているのです。
言葉が武器として使われるのです。」

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